理想は適当。
苦行だけでは融通がきかず視野も狭くなる。
楽すぎるのももちろんダメ。
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「自分で決めた枠」はイライラのもとになる
苛立ちが周囲からの影響でもたらされるものではなく、自分自身で生んでしまっていることもあります。
不甲斐ない自分に腹が立つ、イライラする、という場合ですね。
目標が達成できないと、ものすごく悔しくて不甲斐ない自分にイライラしてしまうという方の相談を受けたことがあります。
周囲の人は、「それくらい、いいじゃない」と言うのですが、当の本人は許せないのですね。
「いいわけないじゃない。よくない」と泣き叫び、家庭に八つ当たりしてしますこともあるということでした。
目標に向かって頑張ることは大切でしょう。
しかし、できないからといって、イライラすることはないと思います。
できなければ、また挑戦すればいいのですから。
なんどやってもうまくいかずにいらだっているのなら、いっそのことその挑戦をやめてしまえばいいのです。
目標を変えるのです。
あるいは、目標のレベルをさげるのもいいでしょう。
自分の不甲斐なさにイライラしてしまう人は、真面目な人なのです。
目標が高すぎるのですね。
本来目標というものは、低いところから順に高めていけばいいのです。
また、常日頃「自分はこうでなくてはいけない。ひとはこうでなくてはいけない」などという、枠を決めている方が多いようにも見受けられます。
その自分で決めた枠からはみ出たり、その枠に合わないことがあったりすると、どうしようもなくイライラしたり、悩んでしまうのですね。
たまには「まあ、いいか」と、少しいい加減になってもいいと思うのですが。
適度なのが一番いいですよ。
お釈迦様も、苦行だけでは悟れないといって、苦行を捨て去っています。
悟りに挑戦するのはいいけれど、苦行だけではダメだ、といることに気付いたのですね。
同時に快楽だけでもダメです。
お釈迦様は、悟りに向かう修行は、苦でもなく楽でもなく、その中間だと分かったのですね。
同じように、目標に向かうのも、ただ頑張るだけではダメなのです。
ましてや、頑張りすぎは逆効果になります。
少しは肩の力を抜き、頑張りすぎず、楽にもなりすぎず、適度な状態を保つのが、理想なのです。
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