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防ぎようがないことは開き直る
自分では何とも思っていないけど、なぜかライバル視されたり、意地悪されたりしたといる経験はないでしょうか。
同僚や先輩、友人関係の中においても、こちらは意識していないのに、相手にちょっかいを出されるということはよく聞く話です。
例えば
「いい子ぶってるんじゃないのか」とか
「一人で目立ちすぎている」と言われたり
陰でこそこそ噂話を流されたり。
こうしたことは、嫉妬から始まることがおおいですね。
集団の中で、ほんのちょっとでも周囲の注目を集めるようなことをした人がいると
その集まりの中に嫉妬という思いが渦巻くことはよくある話です。
その方にしてみれば、不可抗力なことで嫉妬されているので、防ぎようがありません。
防ぎようがないことで、イライラしても仕方が無いでしょう。
ならば、開き直るのが一番手っ取り早いのです。
お釈迦様の弟子に、舎利弗と目連という有名なお弟子さんがいます。
この二人は、後にお釈迦様の二大弟子とも言われるほどになりますが
お釈迦様の弟子になると、すぐに高弟の扱いを受けました。
彼らには、それほど実力があったのです。
二人は、出家してほどなくお釈迦様の両脇に座ることを許されました。
その場所は、特別な場所だったので、古くからの修行者が彼らを批判し始めました。
お釈迦様は、批判した修行僧に、二人はこの場所に座る実力があること
批判は嫉妬からくるもので恥ずかしい行為であること
そのような嫉妬をしている暇があったら自分の修行に励むことを説きました。
そして、舎利弗と目連には遠慮することも周囲の目を気にすることもなく
自らの修行に励むように、とおいています。
それ以来、彼らは誰からも批判をされることなく、堂々とお釈迦様の左右に座ったのです。
無視して堂々としていよう
お釈迦様のような上司がしれば別ですが、そうでないならば、開き直るほうが早いのです。
そうすれば、意地悪をした人もあきれ返って何もしなくなります。
嫉妬で意地悪なことをしてくる人など、無視すればいいのです。
自分は自分の仕事をこなしていけばいいだけなのです。
嫉妬されたならば、開き直って堂々としていることです。
嫌味や意地悪が及ばないくらいの態度をされると、意地悪する側もあきらめるものなのです。
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