自分で気づいて「直したい」と思わなければ直らない。
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相手にせず哀れみの目で見る
とにかく理屈はこねるが、実践が伴わない部下にイライラさせられます。
理屈は立派、筋も通っている、確かにそうだ、間違ってはいない。
ならば、その通りにその部下ができるかといえば、「そんなことは無理です。」と平気な顔で答えるのです。
「これにはまいりましたよ」と頭を抱えて相談に来られる方もいます。
「どう扱ったらいいのか」とお手上げ状態です。
しかし、世の中には、考えるのは得意だけど、実践は苦手という人もいる者です。
理屈は得意というのならば、そういう人には企画を任せ、実践は他の人にやらせるのがいいでしょう。
ここは、やはり適材適所ですね。
ただ、屁理屈ばかりこねる部下だと、イライラさせられる以外何もありません。
こういう部下に対しては、もはや相手にしないのが一番いいです。
むしろ、、「哀れな人間だなぁ」と思ってあげた方がいいでしょう。
本人がその気にならなければ変わらない
何かにつけて理屈を挟みたがる人、何か一言付け加えたい人、言わなくてもいいのに一言多い人というのは、根底には寂しさがあるでしょう。
相手にしてもらいたい、認めてもらいたいという欲求があるのでしょう。
いわば、それがその人の自己アピールなのです。
相談に来られた方にそのように話すと、その方はそれ以来、部下が屁理屈をこねると、「そういう言い方しかできないのか、お前も哀れだなぁ」という悲しそうな顔で部下をまじまじと見つめたそうです。
そうしているうちに、部下の屁理屈は減ったどころか、「私はどうしたらいいのでしょうか」と相談にきたそうです。
こうして、その部下は屁理屈をこねることが減り、素直に気持ちを口にするようになったそうです。
イライラするよりも、哀れんであげる方が、自分のためにも部下のためにもいいことなのですね。
根気よく聞き流し、哀れみを注いであげれば、口で注意しなくても、気が付く時が来るものです。
癖を直してやろうとか、屁理屈を無くしてやろうとか、思わないことです。
そうした癖や性格は、そう簡単に矯正できないものです。
本人が気付き、自分から直したいと思わなければ、直らないものです。
注意するよりも、気付かせることの方が早道です。
そのためには、上司側が哀れみの気持ちをもって対応することですね。
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