劣等感によるイライラは他人と比較するから
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他人と比較しても仕方が無い
劣等感にさいなまれて落ち込んでしまう人もいます。
運動ができない、勉強ができない、何をやっても鈍い、行動が遅いなど、人にはいろいろな劣等感が一つや二つはあるものです。
ましてや、「できる人」と出会ってしまうと、その人が眩しくもあり、羨ましくもあり、妬ましくもなるものです。
そして、相手と比較してできない自分がもどかしく、みじめになってしまうのですね。
私にもコンプレックスがありました。
中学校・高校時代は、身長が低いことが悩みの種で、それに加えて運動も得意な方ではありませんでした。
勉強は、高校まではまあまあでしたが、大学に行ってからは落ちこぼれました。
異性に関しても、女性との交流も多くはありませんでしたし、何回フラれたのかもわかりません。
就職してからも同期が活躍しているのを見ると自分が惨めに思えたこともありましたし、嫉妬の炎を燃やしたこともありました。
この話を聞くと、みなさん驚かれます。
今では「悩みなんてありません」などと澄ました顔をしていますが、若い時はそうでもなかったのです。
誰しも、若い頃は他人と比較して落ち込んでしまうのです。
欠点を受け入れ前に進もう
「いつから比較しなくなったのですか?」という質問を受けることがありますが、それは「比較しても仕方が無い」とあきらめたときからです。
仏教では、他人と比較することについて、このように説いています。
「他人と比較してはならぬ。自分の人生は自分のものであり、他の誰のものでもない。
しかるに、他人と比較しても意味が無いのだ。
人それぞれ皆、能力も違えば望むものも異なる
皆それぞれの道があるのだ。
他人と比較することなく、自分は自分の道を進めばいい」
他人と比較しても何もいいことはありません。
自分は自分です。
大事なことは、素直に周囲の言葉を聞き入れること、自分の欠点を拒否せず、素直に認めることなのです。
そのうえで、他人のできることを見て、自分もああなれるように頑張ろうと思うことです。
あの人に追いつこう、あの人を追い越そうと努力すれば、それは自分自身の力になっていくでしょう。
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