大衆から外れていると感じるからイライラする。
興味があるなら学び、自分には不要と思うなら無視すればよいのです。
目次
時代の流れにどう対応するかは自分次第
人と人とのつながりが希薄になった、殺伐とした時代だと言われてから、いったいどれくらいの時が経ったのでしょうか。
その傾向はますます進むようで、近所の人や隣に住む人の顔を知らないなどということは、当たり前の時代になってきました。
周囲との会話は、直接話をするよりもメールやチャットを通じての方が気が楽だという若者も増えてきているようです。
こうした人と人とのつながりが希薄な時代に、不安やイライラを募らせる方も少なくないでしょう。
パソコンやスマートフォンも使い方がわからないというお年寄りは、こんな時代の流れは許せない、と怒りをぶつけてきます。
そういった方にはこんなお話をすればよいのです。
『大事なのは、自分の気持ちです。
周囲がパソコンや携帯電話を持ったからといって、それに従う必要もないでしょう。
もし、それで自分が淋しいと思うなら、使い方を学ぶべきです。
社会に逆らって生きるのも、社会に迎合して生きるのも、あなたの生き方なのです。』
軽薄なマスコミやTV番組にイライラする方もいます。
「最近のテレビ番組は、内容が無くてつまらない。見る者が無い。」
「あの記者は何をくだらない質問をしているんだ。」
と嘆いている方もいます。
私は、「テレビを見なければいいじゃないですか。テレビなんぞ、なくても生活できるでしょう。」と答えます。
くだらない番組しかやっていない。と言うのなら、見ないほうがいいのです。
時代は大衆の好みに合わせている
仏教は、現実を拒否するようなことは説きません。
むしろ、現実をよく観察し、それをそのまま受け入れよ、と説きます。
時代の流れを嘆くよりも、その時代の流れを受け入れ、利用してやろうと考える方が、気持ちが楽になります。
世の中の風潮には、流れがあります。
流行は、それを求める人がいなければすぐに去ってしまいます。
そうした風潮や流行などに、イライラしても仕方がありません。
受け入れにくい風潮は、いつの時代も存在しているのです。
それは、時代が個人に合わせて存在しているわけではなく、大衆の好みに合わせているからです。
その大衆から外れているからといって、イライラするのは間違っています。
そんなことで苛立つぐらいなら、堂々と批判するか、大衆を受け入れてしまった方がいいのです。
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