私たちが救われる条件は「悟ってそれを実行すること」です。
この真理体得、すなわち悟りのためには、心身両方の働きと自分の生活とを最高に高め整えた状態で、自分の目で見、自分の手で触れること、すなわち、行じてみることを続けて、なるほどこれが真実であると、自分が真実を把まえてゆく以外にないのです。
密教には教典とか、あるいは教科書というような、頼れるものがないのがその特徴です。
ヨガは、五千年という長い歴史を持っているのにもかかわらず、全く教典とかテキストというものがありません。
このようにヨガはテキストのない教えです。
ヒントを与えるグルー(悟った指導者)がいるだけです。
沖正弘先生は、前後合わせて8年間、インドとチベットで学びました。
インドには、約500ばかりのいろいろな形式のヨガ道場がありますが、どの道場に行っても、普通の常識で考えるような、教え方や学び方はありません。
すなわち教える人があり、テキストがあり、というような教え方、学び方ではないのです。
ヒントだけが与えられて、あとは自分自身で把むという学び方が、ヨガの学び方であり教え方です。
このように自分自身が体験して体得すること、すなわち行じることによって自ら感じ取り、考えとる教え方が、道場の大特徴です。
だから最初のうちは、五里霧中でさっぱり何がなんだかわかりませんでした。
それは、現代教育を受けた私が、自分が感じ、考え、行う能力が低かったからです。
というよりその心がなかったからです。
このように自己喪失者を作っているのが、現代教育の弊害の最大のものであると思います。
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