「因果律」は、角度を変えて、自己の行為(カルマ)という観点からみれば、「自業自得」ということです。
自己の表面意識がそれに気づいているか否かに関わらず、そういう目でみるからそう見え、そういうことを求めているからそれが与えられ、そのように身についているからそう現れるということです。
いじめるからいじめられ、愛するから愛されるのです。
自分が自分をどう見て、どう養い、どう扱っているか、また何を自己に考えさせ、行わせているのか、が自己を創っており、また自他の関係を創っています。
それ故、救われたければ、救われる原因・条件となる感じ方・考え方・行い方を自己の身につければ、救われてしますのです。
私たちが「生きている」ということは、宇宙の一切のお陰で「生かされて生きている」ということが事実であり真実です。
それ故、この真実を深く理解すれば理解するほど、即ち、宇宙の働き、「生命」の働き、即ち「神」の働きを広く深く掴み、それに感謝した生き方を実行すればするほど、「愛すれば愛される」ように、宇宙・生命・神はその神秘、その働きの素晴らしさを私たちに示して下さるのです。
そしてその生き方・生活をヨガ、即ち「神と結ぶ」「神と一本になる」「神人合一」と表現しているのです。
個人の身に現れる問題も、人類全体の問題も、その創造者は、結局は自分ですから、解決者も自己以外には存在しない、ということです。
あらゆる問題の創造者が自己自身であるからこそ、自己を浄め、整え、高め、強めることで、私たちは救われ得るのです。
コメントを残す