金利の高低も需要と供給で決まる。
嫌われても金利がなくならないのは、それがないと経済が回らないからです。
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金利はお金の「レンタル料」
古来より、金貸しという職業は嫌われがちです。
なぜかというと、貸したお金について金利(利息)をとることが理不尽に感じられるからです。
「不労所得」という言葉があります。
額に汗して働いて得たお金は尊いが、自分のお金を貸すだけで働きもせずにお金(金利)を取るのは論理的によろしくないと思われがちです。
もし金利を取ることがいけないことだったら世の中から無くしてしまえばいいのに、なぜ無くならないのでしょうか?
答えは簡単で、金利が無いと経済が回らないからです。
金利の存在理由の説明の仕方はいろいろありますが、お金のレンタル料だと考えればわかりやすいと思います。
レンタル店でDVDを借りたらレンタル料を支払うし、レンタカーを借りた時も同じです。
お金を借りた時も同じようにレンタル料を払うのは当たり前でしょう。
個人的なちょっとした貸し借りは別として、自分にまったく利益が無いのにお金を貸す人はいないし、一方で金利を払ってでも借りたいという人はたくさんいます。
金利無しのお金の貸し借りには供給はほとんどないが、金利付きのお金の貸し借りには需要も供給もありますので規則はなくならないのです。
金利は需要と供給で高低が決まります。
どれだけの金利になるかは、貸し手と借り手の需要と供給の関係で決まります。
信用のある個人や企業は、きちんと返済してもらえる可能性が高いので、「金利は低くてもいいから借りてください。」という貸し手がたくさん出てきます。
よって信用があれば、低い金利でお金を借りることができます。
逆にあまり信用のない個人や企業には誰も貸したがらないので、「高い金利を払いますからどうか貸してください。」と頼んで回ることになりますので、どうしても金利は高くなってしまいます。
今の日本では法律で金利に上限が設けられています。
つまり、あまりにも高い金利は違法となります。
経済原則からいえば、どんなに高い金利であろうが、借り手と貸し手の合意の上で需要と供給の関係で決まったのなら文句は言えないところです。
しかし、常識的に返せないに決まっているほど高い金利の契約を結ぶときは、借り手が正常な判断ができなくなっている可能性があります。
お金の工面に切羽詰まっている人は、その場を切り抜けることしか頭にないから、いじょな高金利でも「返せる」と錯覚してしまうのです。
だから金利に上限を定めることには合理的な意味があるのです。
ただし、法定以上の高い金利でも一応需要があることはあります。
しかし、そんな借り手には、合法的な貸金業者は貸すことはできません。
その隙を突くのが違法な貸金業者なのです。
違法業者をきちんと取り締まることができないと、借金をめぐる悲劇が無くなることはないでしょう。
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