苦しみのもとは「過去の反省」と「未来の心配」
私たちを苦しめるのは「過去の反省」と「未来の心配」です。
「自分はなぜあんなことをしてしまったのだろう。あれさえなければ成功したのに」とか、「あのとき、あの人は何とひどいことをしたのだ。一生恨んでやる」などと思うのですが、実は過去の自分や他人も今の自分、他人ではないのです。
今の自分に過去の責任を問うことはできないのです。
同じように未来の自分、未来の社会の人々は、今の自分、今の社会の人々と同じではありません。
似てはいるのですが、本質的に別なので、連続的につながっているようにみえる未来を心配しても、何も解決しないのです。
また未来は、自分と関係ない人たちが決めたり、争ったりするので、自分に本来決定権のないことを考えても苦しいのは当然です。
ですから禅では「今」しかないということをどうしたら悟らせることができるかということに心を砕くのです。
本質的に過去の自分と今の自分は異なるのだ、今の自分には過去の行為の責任はない、ただ法律的、あるいは社会通念の上から責任を問われているだけなのだから、その制度内で責任を果せば、それ以上の責任はないのだ、と理解することは、生きいきと生きてゆく上で非常に大事なことだと思います。
「諸行無常」の教えはこの根本問題を解決します。
「責めず、比べず、思い出さず、浜松医科大学名誉教授・高田明和」
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