【苦諦(くたい)人は「生老病死」の苦しみから逃れられない】
第一は人生は苦であると観ずること、つまり「苦諦」です。釈尊は若いころ、家来につきそわれて郊外の農耕際を見に行かれたことがあります。
そのときに、牛や馬を見て、このような動物はどうしてあんなに汗を流して働かなくてはならないのか。
それは人間に責めたてられるからだと思われました。
また、農夫たちはなぜ貴族たちのように遊んでいられず、泥まみれになって働くのか。
それは地主が作物を取り立てるからだ。
さらに蛙はなぜ虫をとって食べるのか。
そうしなければ自分が死ぬからである。
蛇はなぜ蛙をとって食べるのか。
そうしなければ自分が死ぬからだ。
雉子はなぜ蛇をとって食べるのか。
そうしなければ自分が死ぬからだ。
猟師はなぜ雉子を撃って食べるのか。
そうしなければ自分が生きれぬからだ、と観察されました。
そして、「この世の中はどうしてこのように何かを殺さなくては自分が生きられないようにできているのだろうか。
何という矛盾に満ちていることだろうか。
もし、神がおられてこの世をお造りになったなら、こんな矛盾した世界をお造りになったはずはない。
生きることはすなわち罪を作ることであり、最大の苦である」と考えられたのです。
青年期にあった釈尊がますます内公的になるので、父王は何とか気分を転換させようとして、従者に申しつけ、東の門から城外に遊びにお連れさせたのです。
そこで釈尊は頭髪が真っ白で、顔は皺だらけ、腰が曲がったみすぼらしい老人に出合ったのです。
あれは何物か、と聞くと、それは老人というもので、人間は年をとると誰でもあのようになるのです、と聞かされました。
その次に釈尊は南の門から城外に出られました。
すると今度は真っ青な顔をした人間が杖にすがってかろうじて立っている姿を見ました。
あれは何物かと聞くと、あれは病人というもので、肉体をもっている以上、誰でも病気にかかることは避けられないのだと聞かされたのです。
今度は日を改めて、西の門から城外に出られますと、大勢の人がしろ布に包んだものをかついで、泣き泣き来るのに会われました。
あれは何かとお尋ねになると、あれは死人というもので、肉親がその死骸を捨てに行くとろろです。
人は誰でも一度は必ず死なねばならないと聞かされました。
ここで今度は北の門から森に向かわれると、大きな樹の下に静かに座っている人間をご覧になりました。
その人物はやせてはいましたが、静かな平和な姿をしていました。
そなつな身なりですが、気高い清らかな顔をしていたのです。
あれは何者かと聞くと、あれは修行者というもので、一切の欲望の生活を捨てて、ひたすら真理を求めているのだということでした。
王子はこれを聞くと、これこそまさしく自分の行くべき道だと考えられ、出家しようと決意されたのです。
「生老病死」の苦しみを四苦と言います。
実際、年をとるとみな多くの病気をもつようになります。
さらに家族の死、知り合いの死などを見て、自分も消えてゆくのだという苦しみを感じます。
生きるということも、年をとるということも、死ぬということも避けられない苦しみを与えるのです。
しかし、苦しみはそればかりではありません。
逢別離苦(あいべつりく)といって、愛する人と別れなくてはならない苦しみ
怨憎会苦(おんぞうかいく)といって、嫌いな人と一緒にいなくてはならない苦しみ
求不得苦(ぐふとっく)といって求めるものが得られない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)といって体があり、感情があり、考えることがあることによる苦しみ
があります。
簡単にいえば、心が病む苦しみです。
つまり、人はこのような苦しみから逃れることはできないというのが「苦諦」です。
「責めず、比べず、思い出さず、浜松医科大学名誉教授・高田明和」
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