【集諦(じったい)とは苦しみの原因のこと】
苦の原因とはいったい何でしょうか。
それは、「因果の法則」により、無知からさまざまな間違いを犯すこと、とくに自分と他人の心を傷つけるようなことをしてきたからだと釈尊はいわれました。
これを「集諦」といいます。
よいことをすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になるという原則は変えられません。
しかし、人はよいことをしようと思ってもできない存在なのです。
生きるということが、他の生命を奪い、他人と競争をして、勝とうとし、その間に人を傷つけてしまう存在なのです。
このために不幸になり、苦しむのです。
とくに、他人の心を傷つける、嘘を言う、人を貶(おとし)める、他人の不幸を望むなど人間は悪いことをします。
これが業に記載され、不幸になるのです。
円覚寺の管長をされた古川尭道老師は「若いときに不陰徳(徳を失なう)をした人の晩年は必ず悪い」と言っておられました。
私も年をとり、周囲の人の生き方をいろいろと見てくると、若いときに闘争的で、相手を傷つけても何とも思わず、言いたい放題のことを言って暮らしたような人の晩年は、必ず孤独、孤立し、愛情に恵まれない人生を送っています。
ですから、若いときの成功などは、あまり意味がありません。
もし、人の心を傷つけ、しかも他人に愛情をもって接しないなら、必ず晩年は孤立し、しかも過去を後悔したり、心を病んだりするのです。
釈尊はとくに欲望に目を向けられました。
大きな欲望をもつ人は必ず大きな苦しみにあう、欲望を減らすものは苦しみも少ないと説かれました。
達磨大師も「求むところあるは苦労なり」、と言われたのです。
「責めず、比べず、思い出さず、浜松医科大学名誉教授・高田明和」
コメントを残す